「ハイキュー」に見る子どもの世界線 -30daysblog・day15

「ハイキュー」という高校バレーを舞台にした漫画が最近のお気に入りなのだけど、最近読んだところに(とても好きだ)と思ったセリフがあるので紹介したい。

登場人物のふたり、研磨とクロの出会い頃の話。

研磨の家の隣にクロ家族が引っ越してきて、親同士が挨拶したあと、研磨の部屋でふたりでいるシーン。

なにを話したらよいかわからず黙るふたり。

(歳が近いからって仲良くなれると思うなよ、大人)と研磨の心の声。

まぁ、「○○やる?」って声をかけてゲームを始めるのだけども。

ふたりが仲良くなってしばらくした頃、他の友達とサッカーに行こうとしているクロに、研磨のお母さんが「研磨も誘って」と声をかける。親目線だと家に引きこもってばかり息子を外に連れ出してもらいたいのだ。わかるわかる。

それに対してクロが言ったひと言。

「研磨はサッカーやりたくないと思うんだ。研磨がやりたいことなら絶対誘う」

子どもは大人よりもずっと当事者目線でものごとを見ていると思う。世界がまだ狭いからかもしれない。

大人になっていろんな経験をすると、マスで物事を考えるようになる。それは良い面もあるけど悪い面もある。気を抜くと「目の前のひとりのこと」がわからなくなってしまうのが悪い面だ。

「子どもだから○○だろう。」という決めつけ。

「友達いない」→友達作った方がいいよ!

「家にいるのが好き」→外に出て遊びなさい

「レバーが食べられない」→好き嫌い言わずになんでも食べなさい!

どれもこれも本人がその時それで良いのなら認めるべしと今のわたしは思っている。

本人が変わりたい、変えたいと思っている、でもうまくいかないって時に手を差し伸べるのがちょっと人生長く行きてる大人の役目だ。でも手なんか差し伸べなくても、子どもは自分自身の力で変わっていかれる。

物語の中で研磨はクロに誘われて始めたバレーボールを、楽しくもないけどつまらなくもないという気持ちで高校まで続け、ある試合のあと「たのしかったー」とぶっ倒れて、「クロ、俺にバレーボールを教えてくれてありがとう」と言うのだ。

そこまで10年くらいかかっている。

こういう長いスパンでもいいんじゃないのかな。子どもは勝手にちゃんと成長していく。大人もそうありたい。

ひとつ子どもにお願いしたいのは、思ったことを伝えて欲しいということ。「そう言われて嫌だった」とか「悲しい気持ちになった」とか。漫画のセリフみたいに上手いこと言うのは難しいかもしれないけど、本当の気持ちを言葉にしたらいいと思う。

ちゃんとした大人は、子どもから言われたら、ちゃんと考える。

「ハイキュー」とても良い漫画なのでスタジオに置きたい候補である。

(*紹介したセリフは正確ではなく、だいたいこういうこと)

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